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「欠乏の恐怖」

お休みの間、夜少し余力残して仕事終わりにして本読んだの。
(いつも、寝る準備先にして、睡魔ギリギリまで仕事して、バタンキュー)
母の読書本コーナーの中で、ミステリー本でも健康本でもなく浮いてた「聖なる予言」

…昔、続編も読んだことあるけど、母はああいうスピリチュアルな考えを実践したくてこの本手放さないタイプには見えない。
だから、浮いているこの本は、私の再読のために、ここに存在している、としか思えなかったから。

で。

読み返して、気になったのが本の中に出てきた「欠乏の恐怖」というコトバ。その文字から目が離れない。
今の私に必要な答え。

エネルギーは(欠乏を補うために)他者から奪うものではなくなり、植物など相手を称賛することで得るもの、与えるもの、つながるものになってゆく、というようなことがこの本にあって。

私たち日本人は、戦後モノがエネルギーを与えてくれると感じたのかもしれないね。
ちょうどEテレ「人間ってナンだ?超AI入門」でモノを神格化、人格化して捉える感覚が日本人にはある、ってやってるのを見たの、なんか「そういうことか!」ってつながった気がした。

「三種の神器だ!」
「車持ってる俺、カッコイイ!」
「ブランド品持ってる私、イケてる!」
「○○まだ持ってないの!?ダッサーイ」
「これさえあれば、モテる!」

ゲームで主人公がアイテムをゲットするとパワーがアップする、あの感じ。
(ゲームしないからよくわかんないけど、たしかそういう仕組みだったよね??)
アイテムなくなったら、パワー落ちて、勝てなくなる。ゲームオーバー。おしまい。
その恐怖。

だから、モノを手放せなくなった。

この本でいう人間同士の中毒ってやつ。
たぶん日本人は、異性ではなくモノに中毒してしまったんだと思う。
中毒から脱する方法はこの本に書いてある通り。
この本にあるような方法で、自然のエネルギーとつながることができれば、モノを手放すことに対する欠乏の恐怖を克服できる、ってことか。

だとしたら、まずは。

モノを手放す前に、モノ以外からエネルギーを得て、モノなしでも1人分のエネルギー保てる!というココロの状態になることが先。
でないと、代替エネルギーを欲して別のモノが必要になって、場合によっては欠乏の恐怖から倍増して、元の木阿弥。

…親世代の根深い「モノ中毒」「欠乏の恐怖」を、自然に触れることで癒せるのか。
たまには親と一緒におでかけしますかね(^o^;)

あと、この本からわかることは。

ワゴンセールの、安くて元気のなくなった野菜ばかりあれこれ揃えて全種類コレクションして腐らせてるうちは、植物の本来のエネルギーを得ることはできないだろうな、ということ(^_^;)

新鮮な野菜を、種類少なくても旬のものを、新鮮なうちに使い切る食事に変えることで、得るエネルギー変わると思う。

親世代のそのへんの意識改革もしなくちゃ、だな。。。

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